雪舟の庭園~京都弾丸5 [京都旅行'10]
3日目の続き <11月14日(日) < 雪舟の庭園
お土産が足りない!う、、お漬物も、かわいい雑貨も、お抹茶もゆっくり選ぶ時間がなかった。しょうがないよね、1日半の弾丸ツァーだし、お買い物もいいけど、てくてく歩いて京都を充分満喫したから満足、満足。
でもノリーナは見逃さなかったぞ、東福寺からの参道に”くろちく”が出店していたのを。(札幌にもあるけど、京都で買うのに意味があるの)急ぎ、迷いながら、急ぎ、ホントに迷いながら、とりあえず皆のお土産をここで全部買っちゃいました!
かわいい和の小物がリーズナブルな価格でたくさんあるお店。
お地蔵さんのポーチは母ちゃんに。
お地蔵さんがかわいくて自分にハンカチ。
そういえば、お地蔵さんとか仏像とかいっさい見なかったなぁ。。
一筆箋もかわいい絵柄がたくさん。
東福寺の帰り道、目についた”雪舟の庭”とかいた看板。へぇ~あの雪舟はどんなお庭を創ったのかな?と寄ることに。
「ふん陀院」
雪舟が少年期過ごした岡山の宝福寺は東福寺の末寺で、雪舟が本山に来たときにここに起居していた。
一条兼良公の所望により雪舟が作庭することになったようだ。
禅院式枯山水庭園様式で1460年~68年頃作庭したと認められている。
鶴と亀にみたててデザインしていることから「鶴亀の庭」と呼ばれる。
向かって左側の鶴島は折り鶴を、右の亀島は二重基壇によって亀を表現しています。
茶室「図南亭」(恵観堂)
実に落ち着きます。落柿舎もそうでしたが心地よくずっと眺めていたい雰囲気ってあるんですね。
大きさとかも関係あるかな。あまり人でごちゃごちゃしていないっていうのもありますが、庭のかもし出す何かがその人の感性とぴたっとはまると時間の過ぎるのも忘れて、むしろ時間が止まったかのようにいくらでもいられるんですね。美瑛の庭もたくさんの方にそんな風に思われたらいいなぁ。様式とかそんなのを超えてゆっくりと幸せの時間が流れる庭、理想です。
これで京都の観光は終わり。楽しい思い出を胸に雪の降りそうな寒い北海道に向けて帰りました。
【京都弾丸ツァー後記】
予定たてたときはたった1日半なんて無理~~!と思っていましたけど、結構観光できますね。ふくらはぎがパンパンで2日間痛かったけど頑張って歩いただけ充分京都を満喫しました。穏やかな天気に恵まれ、北海道とはまた違う紅葉を見れて楽しい旅でした。弾丸で来ても結構いいじゃありませんか!見たいスポットをしぼって行けば1日観光でも行ける!これからこういう旅、やみつきになりそうですな~
京都で感じたこと。
食べ物が薄味でへるし~!見た目がきれい~!いただいた食事はみんな薄味でした。(卵焼きはちともの足りなかったけど)帰ってから似たようなおかずのお弁当を食べたら味がものすごく濃くてしょっぱかった~やっぱり北海道の味付けは濃いぞ。身体に悪いぞ。
街を行く女の子は流行に敏感でファッショナブルだったぜよ。この秋はやりのマントやポンチョ着ていた子の多かったこと、多かったこと。センスよく着こなしているしな~。札幌の比でないです。それにさすが和服の女性が多いですね。ノリーナなんか着ても恥ずかしくて街なんか歩けないけど京都の街を行く皆さんは若い人でもさらりと着て歩いてらっしゃる。イナ~。
いわゆる住宅地は瓦屋根の家が肩を寄せ合うように並んで、回りは垣根と数本の木だけ。道は車がすれ違うのも大丈夫かなという狭さ。あくまでも車中から眺めただけですが、、、自然、庭も箱庭のような日本庭園になってしまうのですね。北海道の広さを改めて感じます。京都の完成された形式と自然が融和した美も、北海道の雄大な大自然も人を感動させることに違いはありません。対極にある両方の美を感じることができるということは贅沢ですよね。
和のこころ~京都の繊細なもみじや美しい料理の数々、手入れのされた石庭、歴史を感じさせる古いお寺、人々の丁寧な立ち居振る舞いなどを見ると”あ~、日本人てなんて芸術的で繊細な感性を持っているんだろう”と実感しました。日頃がさつな北海道民(ん?皆一緒じゃない?)、いえ、ノリーナもお茶のお稽古にもう少し気をいれつつ、日本の歴史や美を学んでいきたいと思ったのでした。
お土産が足りない!う、、お漬物も、かわいい雑貨も、お抹茶もゆっくり選ぶ時間がなかった。しょうがないよね、1日半の弾丸ツァーだし、お買い物もいいけど、てくてく歩いて京都を充分満喫したから満足、満足。
でもノリーナは見逃さなかったぞ、東福寺からの参道に”くろちく”が出店していたのを。(札幌にもあるけど、京都で買うのに意味があるの)急ぎ、迷いながら、急ぎ、ホントに迷いながら、とりあえず皆のお土産をここで全部買っちゃいました!
かわいい和の小物がリーズナブルな価格でたくさんあるお店。
お地蔵さんのポーチは母ちゃんに。
お地蔵さんがかわいくて自分にハンカチ。
そういえば、お地蔵さんとか仏像とかいっさい見なかったなぁ。。
一筆箋もかわいい絵柄がたくさん。
東福寺の帰り道、目についた”雪舟の庭”とかいた看板。へぇ~あの雪舟はどんなお庭を創ったのかな?と寄ることに。
「ふん陀院」
雪舟が少年期過ごした岡山の宝福寺は東福寺の末寺で、雪舟が本山に来たときにここに起居していた。
一条兼良公の所望により雪舟が作庭することになったようだ。
禅院式枯山水庭園様式で1460年~68年頃作庭したと認められている。
鶴と亀にみたててデザインしていることから「鶴亀の庭」と呼ばれる。
向かって左側の鶴島は折り鶴を、右の亀島は二重基壇によって亀を表現しています。
茶室「図南亭」(恵観堂)
実に落ち着きます。落柿舎もそうでしたが心地よくずっと眺めていたい雰囲気ってあるんですね。
大きさとかも関係あるかな。あまり人でごちゃごちゃしていないっていうのもありますが、庭のかもし出す何かがその人の感性とぴたっとはまると時間の過ぎるのも忘れて、むしろ時間が止まったかのようにいくらでもいられるんですね。美瑛の庭もたくさんの方にそんな風に思われたらいいなぁ。様式とかそんなのを超えてゆっくりと幸せの時間が流れる庭、理想です。
これで京都の観光は終わり。楽しい思い出を胸に雪の降りそうな寒い北海道に向けて帰りました。
【京都弾丸ツァー後記】
予定たてたときはたった1日半なんて無理~~!と思っていましたけど、結構観光できますね。ふくらはぎがパンパンで2日間痛かったけど頑張って歩いただけ充分京都を満喫しました。穏やかな天気に恵まれ、北海道とはまた違う紅葉を見れて楽しい旅でした。弾丸で来ても結構いいじゃありませんか!見たいスポットをしぼって行けば1日観光でも行ける!これからこういう旅、やみつきになりそうですな~
京都で感じたこと。
食べ物が薄味でへるし~!見た目がきれい~!いただいた食事はみんな薄味でした。(卵焼きはちともの足りなかったけど)帰ってから似たようなおかずのお弁当を食べたら味がものすごく濃くてしょっぱかった~やっぱり北海道の味付けは濃いぞ。身体に悪いぞ。
街を行く女の子は流行に敏感でファッショナブルだったぜよ。この秋はやりのマントやポンチョ着ていた子の多かったこと、多かったこと。センスよく着こなしているしな~。札幌の比でないです。それにさすが和服の女性が多いですね。ノリーナなんか着ても恥ずかしくて街なんか歩けないけど京都の街を行く皆さんは若い人でもさらりと着て歩いてらっしゃる。イナ~。
いわゆる住宅地は瓦屋根の家が肩を寄せ合うように並んで、回りは垣根と数本の木だけ。道は車がすれ違うのも大丈夫かなという狭さ。あくまでも車中から眺めただけですが、、、自然、庭も箱庭のような日本庭園になってしまうのですね。北海道の広さを改めて感じます。京都の完成された形式と自然が融和した美も、北海道の雄大な大自然も人を感動させることに違いはありません。対極にある両方の美を感じることができるということは贅沢ですよね。
和のこころ~京都の繊細なもみじや美しい料理の数々、手入れのされた石庭、歴史を感じさせる古いお寺、人々の丁寧な立ち居振る舞いなどを見ると”あ~、日本人てなんて芸術的で繊細な感性を持っているんだろう”と実感しました。日頃がさつな北海道民(ん?皆一緒じゃない?)、いえ、ノリーナもお茶のお稽古にもう少し気をいれつつ、日本の歴史や美を学んでいきたいと思ったのでした。
東福寺の紅葉~京都弾丸4 [京都旅行'10]
3日目 <11月14日(日) <東福寺
今日は帰る日なのでお昼までしか時間がありません。なので余裕を持って京都駅からすぐの「東福寺」に観光をしぼりました。実はこの「東福寺」、ガイドブックでモダンな庭の写真を見ただけで行きたいと思ったお寺。それが紅葉の名所だとは知りませんでした。昨日の嵯峨野の紅葉が見事だっただけに期待に胸が高鳴ります東福寺駅から高架下のせまい通りを他の観光客と一緒にぞろぞろと歩いていきます。やはり朝から混雑しています。ほどなく歩くと参道が見えてきました。
臨済宗大本山 「東福寺」
鎌倉時代の摂政関白、藤原道家が造営。1236年より19年かけて完成した。
南都東大寺の”東”と興福寺の”福”の二文字をとった。
以後明治にいたるまで幾度となく火事、再建を繰り返しながら中世の禅宗建築を随所に遺す。
紅葉の向こう側、境内にある”通天橋”をのぞむ。
緑~黄~オレンジ~赤のグラデーションが見事!!
東福寺は広大な方丈(禅僧の住居、後に創見の間の役割)と「八相の庭」と命名された庭が有名。釈迦の生涯の八つの重要な出来事に因んで命名された八相は方丈を東西南北に囲んだ四庭に配されている。昭和14年に作庭家重森三玲によって完成した。
「南庭」
枯山水には巨石と渦まく砂紋、遠くに五山をなぞらえている。
「西庭」 「北庭」
さつきの刈り込みと砂地をくず石で方形に区切る。 コケの緑と軟石の市松模様。
「東庭」
円柱の石で北斗七星を構成し「北斗の庭」といわれる。
「開山堂」の庭
後方のサツキの丸と四角に模様をつけた石庭との対比。
ガーデナーとしては庭の見学ははずせない。日本庭園であってモダンなデザインのこの庭はそれぞれ意味があるのですね。それにしても石庭に紋様を描く技!丸く丸く刈り込む技!日本庭園はまさに技の極地ですね。日本人はすごいことをするねぇ。あ、イギリス人も同じか。。いつか美瑛のガーデンにも技の結集が出現するかもよ~!?
国宝「三門」
北海道のもみじと違ってこちらのもみじは小さくてかわいいですねぇ。ほんとに赤ちゃんの手みたいですね。
東福寺の境内は時間差で変わっていく色が重なり合って繊細で見事な景色でした。
まだつづく
今日は帰る日なのでお昼までしか時間がありません。なので余裕を持って京都駅からすぐの「東福寺」に観光をしぼりました。実はこの「東福寺」、ガイドブックでモダンな庭の写真を見ただけで行きたいと思ったお寺。それが紅葉の名所だとは知りませんでした。昨日の嵯峨野の紅葉が見事だっただけに期待に胸が高鳴ります東福寺駅から高架下のせまい通りを他の観光客と一緒にぞろぞろと歩いていきます。やはり朝から混雑しています。ほどなく歩くと参道が見えてきました。
臨済宗大本山 「東福寺」
鎌倉時代の摂政関白、藤原道家が造営。1236年より19年かけて完成した。
南都東大寺の”東”と興福寺の”福”の二文字をとった。
以後明治にいたるまで幾度となく火事、再建を繰り返しながら中世の禅宗建築を随所に遺す。
紅葉の向こう側、境内にある”通天橋”をのぞむ。
緑~黄~オレンジ~赤のグラデーションが見事!!
東福寺は広大な方丈(禅僧の住居、後に創見の間の役割)と「八相の庭」と命名された庭が有名。釈迦の生涯の八つの重要な出来事に因んで命名された八相は方丈を東西南北に囲んだ四庭に配されている。昭和14年に作庭家重森三玲によって完成した。
「南庭」
枯山水には巨石と渦まく砂紋、遠くに五山をなぞらえている。
「西庭」 「北庭」
さつきの刈り込みと砂地をくず石で方形に区切る。 コケの緑と軟石の市松模様。
「東庭」
円柱の石で北斗七星を構成し「北斗の庭」といわれる。
「開山堂」の庭
後方のサツキの丸と四角に模様をつけた石庭との対比。
ガーデナーとしては庭の見学ははずせない。日本庭園であってモダンなデザインのこの庭はそれぞれ意味があるのですね。それにしても石庭に紋様を描く技!丸く丸く刈り込む技!日本庭園はまさに技の極地ですね。日本人はすごいことをするねぇ。あ、イギリス人も同じか。。いつか美瑛のガーデンにも技の結集が出現するかもよ~!?
国宝「三門」
北海道のもみじと違ってこちらのもみじは小さくてかわいいですねぇ。ほんとに赤ちゃんの手みたいですね。
東福寺の境内は時間差で変わっていく色が重なり合って繊細で見事な景色でした。
まだつづく
先斗町で京野菜~京都弾丸3 [京都旅行'10]
2日目 <11月13日(土) < 祇園・先斗町
鴨川沿いに並ぶ町屋風の建物。
真夏にはこの辺に川床ができるのでしょうか?
また来る機会があったらゆっくり散策してみたいところですね。
嵯峨野から祇園へ着いたときは全員エネルギー切れでした。朝早くからハイになって歩き続けたせいでしょうか、祇園に着くなり八ツ橋のお店”井筒屋本舗”を南座向かいに見つけて一休み。
抹茶アイス&あんみつで今日2度目のスィーツ 生八つ橋も今は種類がたくさんね!
舞妓haa~n!に出会わないかなと思いつつ祇園を歩いても、先斗町を歩いても舞妓はんは歩いてないどす。夜はどこで食べようかとお店を眺めながら今度は京都の台所の”錦市場”に向かいます。そういえばお土産も全然買ってなかったし、おいしいお漬物とかあるかな?お魚は干物類が多いね。うん、京野菜も美味しそう。お豆腐、、持って帰れません。それにしても人、人、人。観光客が多いのか、地元の人が多いのか、、面白いけど結構長い錦市場(疲れて写真撮るの、忘れてました)を歩き疲れてまた休みたくなってきました。
結局買ったものは”山椒ちりめん”一つだけどす。
お夕飯は先斗町で見つけたお店”ここら屋”
京野菜のディスプレィがとてもきれいで楽しく”ここにしよう!”と皆の意見が一致しました。
中にはいるとここは元町屋だったそうで、なるほど急な階段といい、細長い間取り、宿泊は出来なかったけれど町屋の雰囲気は充分わかったどす。
コースメニューがないので一品一品オーダーします。
京野菜とお豆腐がやっぱりメインでしょうか。
↓この日頼んだメニューです。
(照明のせいで写真は黄色ぽくなってます)
おばんざい3種(ナスがおいしい~~) 京野菜のお漬物
京野菜のサラダは彩り楽しく。(もち、お豆腐もはいってました)卵焼きもあっさり味。 鯛茶づけで〆め。
うれしいサプライズは京野菜の種のプレゼント 来年、美瑛に植えてみましょう(^^)
夜の先斗町は千鳥のちょうちん~皆、千鳥足~~
先斗町(ぽんとちょう)っておかしな名前ね?
それはポルトガル語でポンテponte(先に)という意味からきてるのよ。。という説あり
それは鴨川と高瀬川の堤(つつみ)と鼓(つづみ)にかけて鼓の音ポンからよ。。という説あり
つづく
鴨川沿いに並ぶ町屋風の建物。
真夏にはこの辺に川床ができるのでしょうか?
また来る機会があったらゆっくり散策してみたいところですね。
嵯峨野から祇園へ着いたときは全員エネルギー切れでした。朝早くからハイになって歩き続けたせいでしょうか、祇園に着くなり八ツ橋のお店”井筒屋本舗”を南座向かいに見つけて一休み。
抹茶アイス&あんみつで今日2度目のスィーツ 生八つ橋も今は種類がたくさんね!
舞妓haa~n!に出会わないかなと思いつつ祇園を歩いても、先斗町を歩いても舞妓はんは歩いてないどす。夜はどこで食べようかとお店を眺めながら今度は京都の台所の”錦市場”に向かいます。そういえばお土産も全然買ってなかったし、おいしいお漬物とかあるかな?お魚は干物類が多いね。うん、京野菜も美味しそう。お豆腐、、持って帰れません。それにしても人、人、人。観光客が多いのか、地元の人が多いのか、、面白いけど結構長い錦市場(疲れて写真撮るの、忘れてました)を歩き疲れてまた休みたくなってきました。
結局買ったものは”山椒ちりめん”一つだけどす。
お夕飯は先斗町で見つけたお店”ここら屋”
京野菜のディスプレィがとてもきれいで楽しく”ここにしよう!”と皆の意見が一致しました。
中にはいるとここは元町屋だったそうで、なるほど急な階段といい、細長い間取り、宿泊は出来なかったけれど町屋の雰囲気は充分わかったどす。
コースメニューがないので一品一品オーダーします。
京野菜とお豆腐がやっぱりメインでしょうか。
↓この日頼んだメニューです。
(照明のせいで写真は黄色ぽくなってます)
おばんざい3種(ナスがおいしい~~) 京野菜のお漬物
京野菜のサラダは彩り楽しく。(もち、お豆腐もはいってました)卵焼きもあっさり味。 鯛茶づけで〆め。
うれしいサプライズは京野菜の種のプレゼント 来年、美瑛に植えてみましょう(^^)
夜の先斗町は千鳥のちょうちん~皆、千鳥足~~
先斗町(ぽんとちょう)っておかしな名前ね?
それはポルトガル語でポンテponte(先に)という意味からきてるのよ。。という説あり
それは鴨川と高瀬川の堤(つつみ)と鼓(つづみ)にかけて鼓の音ポンからよ。。という説あり
つづく
紅葉の嵯峨野~京都弾丸2 [京都旅行'10]
2日目つづき <11月13日(土) <嵯峨野
常寂光寺をあとにしてほどなく行くと「落柿舎」に着きました。
「落柿舎」
芭蕉門下の俳人向井去来の遺跡です。
周りに40本の柿の木があり、一晩のうちにその柿の実がほとんど落ちてしまったのが名前の由来とか。
1691年には芭蕉も滞在して嵯峨日記を著した。
現在の庵は明和7年(1770年)俳人井上重厚が再建したもの。
チケットの句 「柿主や梢はちかきあらし山」 去来
凝った庭があるわけではないけれどとても心が落ち着く草庵でした。
こじんまりとした中に茶室もあり、特に三日月の木戸は粋で気に入りました。
何時間でもいられそうでかつ創作意欲もわいてきそうなそんな居心地のよさを感じさせる場所でしたね。
次は祇王寺へ。ちょっと離れて時間がかかるかなと思ったけどなぜかどうしても行ってみたかったので早足で向かいます。けどすぐに着きました。
「祇王寺」
現在の祇王寺は昔の「往生院」の境内。
「往生院」は衰退していき、ささやかな尼寺として残り「祇王寺」と呼ばれるようになった。
平家物語には平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王と仏御前が出家のため入寺したとしても知られる。(wikipediaより)
その後大覚寺派真言宗の寺として墓と木像は保管され、再建を計画していた時に明治28年、元京都府知事北垣国道氏が祇王の話を聞き別荘の一棟を寄付された。これが現在の祇王寺の建物である。
ひっそりとたたずむ小さなお寺にわびの世界を感じます。苔でおおわれた庭も何ら人の手のはいった形式美も華やかさもありませんが春には桜、夏には染み入る緑、そして秋には楓と自然そのものの美しさを演出してくれるのでしょう。
あちこちの境内でよく見られた石蕗(ツワブキ)
嵯峨野のお寺をこれだけ回るとお昼時。おうどんを食べたくなって適当なお店にはいりました。
せっかくなので嵯峨名物の豆腐も頼もうと思ったらおうどんにちゃ~んと豆腐がはいっていました。
とても柔らかくおいしいお豆腐でした。
京都ではこんなお豆腐ばかりなのかな?
北海道のように”木綿豆腐”とか”絹豆腐”とか種類がないのかもね。
ご飯には”山椒シラス”がのっかっていました。
山椒の丸い実がそのまんま入っているのね。ピリリ~
お昼を食べて嵐山駅に戻るとものすごい人だかり!!朝のうちはそんなに気になりませんでしたが、さすが紅葉時期の嵯峨野は大人気ですね。渡月橋を一応渡りましたが人で人で、、残念ながら感動には至りませんでした。
京都のゴミ入れも景観に配慮^^
つづく
常寂光寺をあとにしてほどなく行くと「落柿舎」に着きました。
「落柿舎」
芭蕉門下の俳人向井去来の遺跡です。
周りに40本の柿の木があり、一晩のうちにその柿の実がほとんど落ちてしまったのが名前の由来とか。
1691年には芭蕉も滞在して嵯峨日記を著した。
現在の庵は明和7年(1770年)俳人井上重厚が再建したもの。
チケットの句 「柿主や梢はちかきあらし山」 去来
凝った庭があるわけではないけれどとても心が落ち着く草庵でした。
こじんまりとした中に茶室もあり、特に三日月の木戸は粋で気に入りました。
何時間でもいられそうでかつ創作意欲もわいてきそうなそんな居心地のよさを感じさせる場所でしたね。
次は祇王寺へ。ちょっと離れて時間がかかるかなと思ったけどなぜかどうしても行ってみたかったので早足で向かいます。けどすぐに着きました。
「祇王寺」
現在の祇王寺は昔の「往生院」の境内。
「往生院」は衰退していき、ささやかな尼寺として残り「祇王寺」と呼ばれるようになった。
平家物語には平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王と仏御前が出家のため入寺したとしても知られる。(wikipediaより)
その後大覚寺派真言宗の寺として墓と木像は保管され、再建を計画していた時に明治28年、元京都府知事北垣国道氏が祇王の話を聞き別荘の一棟を寄付された。これが現在の祇王寺の建物である。
ひっそりとたたずむ小さなお寺にわびの世界を感じます。苔でおおわれた庭も何ら人の手のはいった形式美も華やかさもありませんが春には桜、夏には染み入る緑、そして秋には楓と自然そのものの美しさを演出してくれるのでしょう。
あちこちの境内でよく見られた石蕗(ツワブキ)
嵯峨野のお寺をこれだけ回るとお昼時。おうどんを食べたくなって適当なお店にはいりました。
せっかくなので嵯峨名物の豆腐も頼もうと思ったらおうどんにちゃ~んと豆腐がはいっていました。
とても柔らかくおいしいお豆腐でした。
京都ではこんなお豆腐ばかりなのかな?
北海道のように”木綿豆腐”とか”絹豆腐”とか種類がないのかもね。
ご飯には”山椒シラス”がのっかっていました。
山椒の丸い実がそのまんま入っているのね。ピリリ~
お昼を食べて嵐山駅に戻るとものすごい人だかり!!朝のうちはそんなに気になりませんでしたが、さすが紅葉時期の嵯峨野は大人気ですね。渡月橋を一応渡りましたが人で人で、、残念ながら感動には至りませんでした。
京都のゴミ入れも景観に配慮^^
つづく
紅葉の嵯峨野~京都弾丸1 [京都旅行'10]
【京都弾丸ツァー】
1日目> 11月12日(金) > 移動日
ちょっとのんびり目の出発で1日目は札幌から京都の移動のみです。
関西空港から「はるか」に乗り京都についたころはもう真っ暗でした。
それでも日暮れは北海道より1時間ほど遅いようでイイナと思いました。
「はるか」 駅前の「京都タワー」
旅館は京都駅からそう遠くない住宅地の静かな場所にありました。調べると嵯峨野にJRで直で行けるベスト位置にあると判明。まずは無事到着したのにホッとしながら夕ご飯をいただき翌日に備えて早々と寝ます。
目に楽しい数々のお料理
2日目 > 11月13日(土) > 嵯峨野散策
朝は8時過ぎに宿を出発です。修学旅行の記憶はもちろん、10年前の記憶もおぼろげな京都に関しては真っ白な頭の約2名は京都の達人(館長さんどす)のお勧めで嵯峨野・嵐山のあたりを中心に観光することにしました。晴れの予想でしたけど黄砂の影響か、空は霞がかかったようです。
それでも天龍寺に着いてみると思ったより紅葉がすすんでいて周りの緑に映えていました。
紅葉の美しさにテンションは
「天龍寺」
世界文化遺産
臨済宗天龍寺派大本山
暦応2年(1339年) 吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために足利尊氏が夢窓国師を開山として創建した。
夢窓国師の門流は隆盛し、京都五山の中で第1位の寺格を誇った。
以後、8回におよぶ大火に見舞われたが明治にほぼ再建された。
平成6年、世界文化遺産に登録
正面入り口の左側のハス池
曹源池(夢窓国師による庭園)
南天は今頃がいいんですね。 きっと白い山茶花でしょう。
天龍寺から次のお寺までは嵯峨野名物?竹林の中を歩いて行きます。夜はライトアップされるようですね。
紅葉との対比が美しい
木漏れ日もきれいどすぇ~
少し歩くと常寂光寺に着きました。
「常寂光寺」
日蓮宗の仏教寺院
小倉山(百人一首に読まれている)の中腹斜面にあり、
仏教の理想郷である「常寂光土」が寺名の由来。
慶長元年(1596年)に日禎が開山
(このパンフ読んでもさっぱりわからない。。
仏教用語とかは辞書引き引きでないと
読み進めませんわ。。)
おぉっと~!ここでなんとカメラの電池切れしっかり充電したのに何でこんなに早くなくなるんだ!?
しかもこんなに紅葉のきれいなところで(xOx)
↓泣く泣く携帯でパチリ。
「多宝塔」 重要文化財どすぇ~
カメラの電池を買いにトロッコ電車駅まで戻ります。電池と念のためバカチョンカメラも買い、人を掻き分け掻き分けまた常寂光寺まで行きます。
はぁ~、ちょと疲れたので通り道にあった甘味処に引き寄せられるようにはいります。おいしい、おいしいぜんざいをいただいてホッと一息。
つづく
1日目> 11月12日(金) > 移動日
ちょっとのんびり目の出発で1日目は札幌から京都の移動のみです。
関西空港から「はるか」に乗り京都についたころはもう真っ暗でした。
それでも日暮れは北海道より1時間ほど遅いようでイイナと思いました。
「はるか」 駅前の「京都タワー」
旅館は京都駅からそう遠くない住宅地の静かな場所にありました。調べると嵯峨野にJRで直で行けるベスト位置にあると判明。まずは無事到着したのにホッとしながら夕ご飯をいただき翌日に備えて早々と寝ます。
目に楽しい数々のお料理
2日目 > 11月13日(土) > 嵯峨野散策
朝は8時過ぎに宿を出発です。修学旅行の記憶はもちろん、10年前の記憶もおぼろげな京都に関しては真っ白な頭の約2名は京都の達人(館長さんどす)のお勧めで嵯峨野・嵐山のあたりを中心に観光することにしました。晴れの予想でしたけど黄砂の影響か、空は霞がかかったようです。
それでも天龍寺に着いてみると思ったより紅葉がすすんでいて周りの緑に映えていました。
紅葉の美しさにテンションは
「天龍寺」
世界文化遺産
臨済宗天龍寺派大本山
暦応2年(1339年) 吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために足利尊氏が夢窓国師を開山として創建した。
夢窓国師の門流は隆盛し、京都五山の中で第1位の寺格を誇った。
以後、8回におよぶ大火に見舞われたが明治にほぼ再建された。
平成6年、世界文化遺産に登録
正面入り口の左側のハス池
曹源池(夢窓国師による庭園)
南天は今頃がいいんですね。 きっと白い山茶花でしょう。
天龍寺から次のお寺までは嵯峨野名物?竹林の中を歩いて行きます。夜はライトアップされるようですね。
紅葉との対比が美しい
木漏れ日もきれいどすぇ~
少し歩くと常寂光寺に着きました。
「常寂光寺」
日蓮宗の仏教寺院
小倉山(百人一首に読まれている)の中腹斜面にあり、
仏教の理想郷である「常寂光土」が寺名の由来。
慶長元年(1596年)に日禎が開山
(このパンフ読んでもさっぱりわからない。。
仏教用語とかは辞書引き引きでないと
読み進めませんわ。。)
おぉっと~!ここでなんとカメラの電池切れしっかり充電したのに何でこんなに早くなくなるんだ!?
しかもこんなに紅葉のきれいなところで(xOx)
↓泣く泣く携帯でパチリ。
「多宝塔」 重要文化財どすぇ~
カメラの電池を買いにトロッコ電車駅まで戻ります。電池と念のためバカチョンカメラも買い、人を掻き分け掻き分けまた常寂光寺まで行きます。
はぁ~、ちょと疲れたので通り道にあった甘味処に引き寄せられるようにはいります。おいしい、おいしいぜんざいをいただいてホッと一息。
つづく